「なみだを、ひとつぶあげる」

そう言ってルイはこぶしを前に突き出して、ゆっくりと指を開いた。その手のひらにはパチンコ玉くらいの大きさで、何色でもあって何色でもないなみだがあった。どこまでも深い海のようでいて、空を焼く夕焼けのよう。地面を覆う雪のようでいて、月の浮かぶ夜のよう。それは世界でいちばん美しいもののように思えた。

「きれい」

わたしはそれを両手で受け取った。なみだは、見た目よりもずん、と重かった。きらきらと、今にも溶けて消えてしまいそうだ。

「きれい、ほんとうにきれいね、ルイ」
「ありがとう」

ほほ笑んだルイの頬はただれていて、銀色の骨が見え隠れしていた。わたしの前髪をそっとなでたその手も、指の数が足りていない。

「ルイ、また誰かと指切りしたのね」
「わたしの指でヤクソクが守れるのなら、すてきじゃない」
「どんな約束をしたの?」
「ひみつ」
「どうして?」
「ひみつにするってヤクソクしたの」

ルイが目を細めると、まぶたがぼろぼろと取れそうになったのでひやりとした。あんなにきれいだったエメラルドグリーンの瞳も今では汚れてしまって、苔のようだった。それでもルイは笑う。わたしに最後のなみだを渡してしまったから、きっともう泣けないのだ。穴があいてしまっているルイのお腹に手を当てて、わたしは目を閉じた。ルイはわたしに泣いてほしいのだ。だからなみだを渡した。わたしがきちんと泣けるようにするために。ルイのお腹の穴はまだじんわり湿っていた。だらだらと流れている液体を止めるように押さえるが、それはもう止まらない。ルイはもつれた髪をかきあげてゆっくりと床にお尻をついた。ルイの足もボロボロだったので、もう立つことは難しいのだとわかった。

「ルイ、誰と指切りしたの?」
「ひみつ」
「それくらい教えてくれてもいいじゃない」

ルイは最近、壊れかけているというのに誰かと指切りをしに行くようになった。しかし、この辺りにはわたしとルイ以外、言葉を話せるものは存在しないはずだ。つまり、誰と指切りをして、指を失ってくるのか、わたしには見当もつかないのだ。しかしルイは答えてくれない。ただゆっくりと動かなくなっていくだけだ。

「ルイはしんじゃうの?」

いいえ、とルイは首を振った。わたしに“死”はないわ。がちゃりと大きな音をたてて、ルイの右の膝から下がつぶれた。重力に耐えることができなくなってしまったのだろう。ぐちゃぐちゃにつぶれた足は、もはやただの金属の欠片で、ゴミだった。

「ただ、わたしは壊れるだけなの」
「壊れたらどうなるの?」
「動かなくなるわ」
「永遠に?」
「そう」

ルイがうなずく際に、またルイの頬がはげ落ちた。壊れるのだ、今日、彼女は。わたしはとても幸せだったわ、とルイがわずかに口角をあげた。唇はすでに朽ち果てて、むき出しの歯が日の光を反射した。

「ルイが動かなくなると、わたしはひとりになるね」

ルイは否定してくれなかった。わたしはひとりになるのだ。生まれてからずっと、ルイと過ごしてきたため、ひとりの恐怖をわたしは知らない。ルイは悲しそうに、笑った。顔はもう表情が読み取れないほど朽ちていたが、なんとなくそういう気がした。銀色の骨格を見るたびにわたしはルイにキスをしてあげたくなった。


 風化していくコンクリートでできたわたしたちの家は、元はわたしたちのものではない。ずっと昔、ほかの誰かが使っていたものだが、その人たちももういなくなってしまった。土地は荒れ放題で、かつてコンクリート・ジャングルと呼ばれたここは、本当のジャングルになってしまっていた。熱帯雨林がひろがって雨も多くなった。

「あのね、」

ルイの声にひびが入る。時間が迫っている。わたしは耳をすまして、ルイの声を聞いた。美しい歌姫のような声だったルイはいつしか、枯れてしまってかすれていた。

「わたしはミライとヤクソクしたの」
「未来と? 何を?」
「ひみつ」

そう言ってルイは剥げかけたまぶたを閉じた。わたしはルイにしがみつく。ルイが、しんでしまう。

「ルイ、いや、置いていかないでよ」

ルイは首を少しだけ横に動かした。きっともう首を振ることもできないのだろう。ぎしぎし、と金属の錆びた音が響いた。

「大好きよ、ミライ」

最後にわたしのナマエを呼んで、ルイはほほ笑んだ。がちゃがちゃと音をたててルイの腕が落ち、とうとうルイは動かなくなった。何度呼びかけても返事をしてくれないルイは、もうただの金属の塊だ。わたしは金属の骨がむき出しになったルイの頬にキスをおとした。ルイからもらった涙がきらりと光り、わたしはそれをそっと飲み込んだ。



 わたしには“涙を流す”というプログラムが抜け落ちた不良品だったので、ルイの一回きりの涙をつかった。温かいしずくが頬をつたい、嗚咽が漏れた。片足の潰れてしまっているわたしは、ルイの隣でひっそりと朽ち果てるのを待つしかないのだ。



---(了)




最初の一言を書きたくて生まれました。イメージカラーはパープル。

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